徒然備忘録

30歳な私の子育て記録と日々のつぶやき

人生は修行。いや、苦行。

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娘が大好きな絵本の1つ、だるまさんシリーズ。

 

少し前までは絵本を持ってきて「読んで!」と言わんばかりに差し出し、私の目の前にお行儀よくおすわりをして…というのが娘との絵本タイム。

 

最近は自分で本を読む?眺める?楽しみを共有したいのか、絵本を持って私のひざに座り、絵本を開くことが増えました。

 

前から1人で本のページをめくる楽しみは分かっていたようで、特に写真が多い本をひたすらぺらぺらめくって楽しんでいたのですが、最近はしっかり読んでいる、見ているといった雰囲気に。

 

特に『だるまさんが』では、だるまさんの動きに合わせて自分も同じ動きをして、「見てた?」という自慢げな顔で振り返ります。かわいい。

 

ぜひ本好きなまま成長してほしいものです。

 

 

 

さて、どこかで読んだか聞いたか。

「人生は修行」

まさしくその思いで日々を過ごしています。

 

 

まだ0歳と1歳の子どもたちだから分からないとは思うものの、子どもたちの前では当たり前の、世間一般の、普通の、仲の良い家族や夫婦の姿を見せたい。

両家の親の前でも、変な勘ぐりや心配で首を突っ込んでこられたくないから普通にしていたい。

 

でも、何も知らなかった時みたいに当たり前に笑うことや会話を交わすことすら気合が必要なのが現状で。

 

子どもの前や親の前で普通にしていたら、「許されている」「このままなぁなぁにできるのでは」と思われそうで、時たま叫びたい気持ちが我慢できなくなりそうになる。

それに、浮気された時に言葉も尽くしたし、苦しんでるところも見ていたし、夫本人も苦しんだ、と思っていた。

相当な気力を振り絞ってなんとかシアワセナカテイになれたと思ったのに、家族や夫婦をないがしろにする行動をくり返した夫に対して、何を言えばいいのかもわからないし、ごく些細なことすら何を言っても無駄な気がして何も言いたくない。

 

でも、態度は拒絶を示していても、何も言わずに黙っていたら、それはそれでその状態を楽だと思いそうで。

 

 

言いたいことは山ほどあるけど、何も言いたくない。

言いたい気持ちを我慢している感覚もあるし、何を言ってもなぁという虚しい、無気力感も同時に感じて、毎日がすごく疲れる。

 

どっちかだけなら、言いたいことを言いたいだけ言ってストレス発散するか、もしくはもうしれーっと過ごしていればいいと思うのに、どっちもあるからどうしたものか。

 

その板挟みで日々耐えて半年。

割とメンタルは鍛えられていると思うのですが、ちょっと息切れ気味です。

 

 

辛いことに立ち向かって、何かを得る。

私の中にある「修行」はそんなイメージ。

辛ければ辛いほど得られるものが多かったり、価値のあるものだったり。

 

私が今の生活を乗り越えた先に得られるものはいったいなんなんだろう。

 

子どもの前ではこうありたいと思っていた母親像にも家族像にも程遠い今の自分。

ゆくゆくは家を建てて、子供が手を離れたら夫とどう過ごすかなんて考えていた未来。

 

信頼できない相手と共同名義で家を建てるなんてできないし、私が私の信用をもとにローンを組んで建てる家であれば、なぜ夫を住まわせないといけないのか?

 

1人でも生きていけるけど、子どもがいる以上、役割としての父親、母親としての関わりは多かれ少なかれ出てくる。

 

夫へ依存していたとも言えるけど、私的には夫婦になるほどお互いを信用し合う関係なら当たり前の期待だったと思うのだけれど。

 

 

この生活を続けていって、子供に悪影響が出たらどうしよう。

悪影響を出さないためには私が何かしらの努力をしなければいけなくて、それをし続けられるのか。

 

遠くの方で、「なんで私ばっかり頑張らないといけないの」と叫んでる声もする。

 

私が決めて結婚して、私が決めた子どもを産んだ。だから、私が頑張らないといけない、のだけれど。

 

ふぅ。

夫が浮気、マッチングアプリをしていたなんて珍しくはない話なのに、なぜここまで私は乗り越えられないのだろう。

それとも、みんなこうなんだろうか。

 

 

いやー世の中是全て修行ですね。

南無。