徒然備忘録

30歳な私の子育て記録と日々のつぶやき

口唇裂手術前夜。息子の寝顔の横で。

 

9月もなかばだというのにまだまだ残暑の厳しいなか、昨日から入院を開始した私です。

こんばんは。

 

といっても、入院したのは我が息子(5ヶ月)

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生まれた時から決まっていた口唇裂の手術がいよいよ明日行われます。

明日の手術で、割れている口唇がくっつくのと、右側の鼻の底部分ができるということで、うさぎちゃんお口も今日で見納め……

 

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29週の時にエコーで口唇口蓋裂を指摘されてから出産までは、息子がどんな状態で産まれてくるのか、合併症はないのか、産まれてきた子を見て自分がどう思うのか、ぐるぐる心配ばかりしていました。

どんな子であれ親として愛することは出来ると思っていたけれど、お顔を見た時に可愛くないとか、あまつさえ気持ち悪いなんて思ってしまいはしないだろうか、そうなったら自分に幻滅するだろうなと、すごく心配しながら出産を迎えました。

 

ところがどっこい。

産んですぐお顔を見た時、私の口から出たのはなーんだ可愛いじゃん。

心底ほっとしました。

口唇裂だけでなく口蓋裂もあるものの、片側だし、合併症も特になくて健康な息子。

 

とはいえ、息子の将来や、これから受ける治療、それに伴う痛みを想像すると、どれだけ周りやお医者さんたちから「傷跡も分からないくらい綺麗に治るから」と言われても、もやもや。

そもそも手術が必要な状態であることが心配だし、治るからって全く痛みや体への負担が無いわけじゃない。

誰もそう生まれることを望んだ訳では無いとはいえ、そんな体に産んでしまったことを申し訳なく思う日も多々ありました。

 

でも、私から息子への愛情が減るなんてことはなく、むしろ増え続けて、こんなに可愛いなんて天才か!?なんて大真面目に思っちゃう始末。

 

口唇裂も本人のこれからの治療を考えたら、そりゃないに越したことはないけれど、仮に裂のある今でも私から見たら可愛いお顔。

 

兎口、三口なんて言われることもあるようで、最初にそれを聞いた時は差別用語プンスカと思ったものの、(誰がどう思うか分からないから表立っては言わないけれど)可愛い表現にすら思えてくる。

 

 

やっぱり当事者やその家族になってみないと分からない気持ちってあるんだなぁと思いました。

 

 

手術は明日の8時30分スタート予定。

全身麻酔で行われる手術なので、6時間前には絶飲絶食。2時頃に手術前最後のミルクを飲ませて(200ml完飲!)息子氏は夢の中。

 

息子の寝顔を見ていると、生まれた時よりは大きくなったとはいえこの小さな体で手術か…となぜだか泣きそう。

明日朝は術衣を着て、麻酔で眠りにつくまでは一緒に手術室にいれるので、少しでも安心させてあげられるよう心を強く持って付き添う所存。

 

 

すごく、すごくすごく心配だけれど、私が息子にどれだけ愛情をそそいでいても私が治してあげることはできないから、病院や息子の生まれた日からずっとお世話になっている先生を信じて、待つしかなーい。

 

 

息子、がんばれ。

 

 

 

 

地球と私のサイクルくるくる

 

今日も今日とて人生という修行に励む私、あと2日で30歳です。

 

 

8月に入り、災害級とされる暑さの日ばかり。

台風も発生して、日本…というか地球大丈夫?

いつぞやかの友達との雑談の中で、地球の自浄作用のひとつで、何万年かごとに氷河期がくるんだそうな。その前には気温が急上昇するというサイクルがあるんだとか。

私が生きている間にどこまで進んでしまうんだろう、なんて考えると自分の生き死について考えてしまったりなんかしますね、こわやこわや。

 

 

そんな私には毎年毎年、誕生日が近づくと何故だか憂鬱になってしまうというサイクルが。

子供の頃はそこまでではなかった気がするんだけど、中学生くらいからか、理由もなく落ち込んでしまうので誕生日は好きになれません。

幼少期から宗教上の理由で誕生日を祝わない家と、世間との差にぎりぎりしてきた反動なのかな。

自分に子供が産まれてからますます誕生日を祝ってあげないなんてありえないと思うようになったけれど、私の両親は違ったんだろうな。

両親は特に熱心には宗教をやっていない家でそれぞれ育ってるから、誕生日は昭和レベルでそれなりにあったはず。

自分は祝われて嬉しくなかったんだろうか、なぜそれを自分の子供にしてあげようとは思わなかったんだろうか。

小さい頃はぐるぐるとそんなことを考えたものでした。そら憂鬱にもなるわな。南無三。

 

 

そんな生理前か?というような気分で過ごす今日ですが、子供たちは相変わらず可愛いのなんの。

 

最近、親友が妊活を始めたそうで、いろいろ話していくうちに子どもたちを授かった時のことを思い出しましたが、私も周りもかなり変化したなと思います。

 

子どもがこんなに可愛いなんて思わなかったし、自分が自分以外の存在のためにここまで時間や力をかけられるとも思わなかった。

いろんな負担を覚悟して家族計画を立てたものの、大変さも予想外ならこんなに幸せな気持ちをもらえるのも予想外。

親孝行は5歳までに終わってるなんて言葉を聞いたこともありますが、あの言葉を考えた人は天才だし、あと4年も親孝行な幸せをくれるなんてうちの子たちも天才だし、なんなら全ての子供が天才。

 

日々大変ながら、もう子どもたちのいない生活は考えられないくらいです。

 

 

 

そんな子どもたちを含む家族の中に、その家族の和を乱す、波風を立てる、家族の敵になり得る存在がいるというのが浮気・不倫のよくないところ。

今日はそんな波風マンたる夫から、前の職場の同僚の結婚式に参加していいかと聞かれたところでぷつんと気持ちの糸が切れてしまいました。

 

別に結婚式に参加すること自体に何かあるわけでも、結婚式をする元同僚さんに対して何かあるわけでもありません。

 

ただ、夫本人が自分たちの結婚式からすぐ出会った女の子と半年経たずに致すところまで浮気をしたこと。

そして、そこから3年が経つころに友達の結婚式に参列し、その日にマッチングアプリでいやーんなやりとりを女の子としていたこと。

 

そんなことがぶわっと頭をよぎって、なんだか心の糸がぷつっと。

 

人の結婚を祝うような資格が己にあるんか?

君が行くことはかえって不吉なのでは?

どんな顔で結婚おめでとうって言いに行くん?

本当に、私の心に、家庭に、波風を立てるのが得意だね。

その元同僚も当時、既婚者を好きになっちゃっていいとこまでいけそうでどーしよー♡とか君に相談してきてたもんね、ふーんふーん、お仲間だね、ふーん?

ていうか、それ普通に笑顔で聞いてくることかしら?私が諸々のせいで結婚式に敏感なの分かってるのにもう少し配慮して聞いてくるとかできない?できませんかそーですか、そーですよねぇ。

などなど言いたいことがシナプスを駆け巡る。

 

とはいえ、言葉を覚え始めた娘1歳9ヶ月の前で声を荒げるなんてことはあり得ないので、子供に関係するところでは頑張って、あとは何も考えないようにゲームやら漫画やら自分の世界に没頭することに。

 

 

最近はもう離婚する理由を探している気すらします。

子どもたちから家庭における父親を奪いたくないし、保護者が複数いることはメリットが大きい。

実家には諸事情につき、直接の保護者にカウントするほどには頼りたくない。

夫は子どもたちのことは大切にしている(大切にしてるならマッチングアプリなんて普通できないけどな)から、私がにこにこしてれば済む話。

 

だから、またマッチングアプリをしていればいい。過去に繋がっただれかと性的なやり取りをしていればいい。

そうしたら、夫が悪いから離婚できるのに。

すこーしだけ残っている未練のようなものも、今度こそ綺麗さっぱりなくなりそうなのに。

 

 

夫はそういった決定的なものはくれないのに、私の心の平穏だけは乱してくる…なんていうのは被害妄想が過多気味なのは自覚しています。

 

 

せめて、申し訳なさそうに、「また嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないけど…」って前置きを置いてから結婚式に招待されて話をしてほしかった。

私がもやもやするポイントをわかって欲しかった。

これも所謂、察してちゃんなんでしょうね。

 

 

そして、子供たちが寝たあと、夫への塩対応に加えて自分の好きな物に没頭状態の私を見て、おそらく何かを感じたであろう夫。

何か言いたいそぶり(ため息、同じ部屋いつづける、多分俯いて座ってるか立ち尽くしているか)だけはするものの、私が無視していれば何も言わない。そのまま過ぎる数十分。

寝ますと言って、寝室へ消えていきました。

 

何か感じても、聞いてきやしない。

何を言ってもどうにもならないのは、あっちもこっちも同じ。

私が何を伝えても夫は変わらないし、変わろうとすらしていない。

夫が何を言おうとも、もう私は夫に優しくはしてあげられない。

 

子どものため、というか子どもたちに最大限に良いものを与えたい私の理想のために離婚は先送りにしたものの、何だかなあ。

 

夫から日々少しづつ与えられるストレスが、誕生日の前ということで増幅されているような気も。

 

やっぱり誕生日は嫌い。

 

早く9月になることを願って、子どもたちとのかけがえのない日々を楽しみます。

修行、修行。

 

 

人生は修行。いや、苦行。

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娘が大好きな絵本の1つ、だるまさんシリーズ。

 

少し前までは絵本を持ってきて「読んで!」と言わんばかりに差し出し、私の目の前にお行儀よくおすわりをして…というのが娘との絵本タイム。

 

最近は自分で本を読む?眺める?楽しみを共有したいのか、絵本を持って私のひざに座り、絵本を開くことが増えました。

 

前から1人で本のページをめくる楽しみは分かっていたようで、特に写真が多い本をひたすらぺらぺらめくって楽しんでいたのですが、最近はしっかり読んでいる、見ているといった雰囲気に。

 

特に『だるまさんが』では、だるまさんの動きに合わせて自分も同じ動きをして、「見てた?」という自慢げな顔で振り返ります。かわいい。

 

ぜひ本好きなまま成長してほしいものです。

 

 

 

さて、どこかで読んだか聞いたか。

「人生は修行」

まさしくその思いで日々を過ごしています。

 

 

まだ0歳と1歳の子どもたちだから分からないとは思うものの、子どもたちの前では当たり前の、世間一般の、普通の、仲の良い家族や夫婦の姿を見せたい。

両家の親の前でも、変な勘ぐりや心配で首を突っ込んでこられたくないから普通にしていたい。

 

でも、何も知らなかった時みたいに当たり前に笑うことや会話を交わすことすら気合が必要なのが現状で。

 

子どもの前や親の前で普通にしていたら、「許されている」「このままなぁなぁにできるのでは」と思われそうで、時たま叫びたい気持ちが我慢できなくなりそうになる。

それに、浮気された時に言葉も尽くしたし、苦しんでるところも見ていたし、夫本人も苦しんだ、と思っていた。

相当な気力を振り絞ってなんとかシアワセナカテイになれたと思ったのに、家族や夫婦をないがしろにする行動をくり返した夫に対して、何を言えばいいのかもわからないし、ごく些細なことすら何を言っても無駄な気がして何も言いたくない。

 

でも、態度は拒絶を示していても、何も言わずに黙っていたら、それはそれでその状態を楽だと思いそうで。

 

 

言いたいことは山ほどあるけど、何も言いたくない。

言いたい気持ちを我慢している感覚もあるし、何を言ってもなぁという虚しい、無気力感も同時に感じて、毎日がすごく疲れる。

 

どっちかだけなら、言いたいことを言いたいだけ言ってストレス発散するか、もしくはもうしれーっと過ごしていればいいと思うのに、どっちもあるからどうしたものか。

 

その板挟みで日々耐えて半年。

割とメンタルは鍛えられていると思うのですが、ちょっと息切れ気味です。

 

 

辛いことに立ち向かって、何かを得る。

私の中にある「修行」はそんなイメージ。

辛ければ辛いほど得られるものが多かったり、価値のあるものだったり。

 

私が今の生活を乗り越えた先に得られるものはいったいなんなんだろう。

 

子どもの前ではこうありたいと思っていた母親像にも家族像にも程遠い今の自分。

ゆくゆくは家を建てて、子供が手を離れたら夫とどう過ごすかなんて考えていた未来。

 

信頼できない相手と共同名義で家を建てるなんてできないし、私が私の信用をもとにローンを組んで建てる家であれば、なぜ夫を住まわせないといけないのか?

 

1人でも生きていけるけど、子どもがいる以上、役割としての父親、母親としての関わりは多かれ少なかれ出てくる。

 

夫へ依存していたとも言えるけど、私的には夫婦になるほどお互いを信用し合う関係なら当たり前の期待だったと思うのだけれど。

 

 

この生活を続けていって、子供に悪影響が出たらどうしよう。

悪影響を出さないためには私が何かしらの努力をしなければいけなくて、それをし続けられるのか。

 

遠くの方で、「なんで私ばっかり頑張らないといけないの」と叫んでる声もする。

 

私が決めて結婚して、私が決めた子どもを産んだ。だから、私が頑張らないといけない、のだけれど。

 

ふぅ。

夫が浮気、マッチングアプリをしていたなんて珍しくはない話なのに、なぜここまで私は乗り越えられないのだろう。

それとも、みんなこうなんだろうか。

 

 

いやー世の中是全て修行ですね。

南無。

 

 

今日も今日とて。

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1歳7ヶ月。

娘がついに水たまりの楽しさに気づいてしまった…

 

玄関ドアから車までの短い距離の間に座りこんでお尻を濡らすのももう何度やったことか。

百歩譲って帰りはいいのよ帰りは、行きは!行きはやめて!!

 

生後2ヶ月の息子を抱っこしながらなので、座り込んでびちょぬれになりながら水たまりで遊ぶ娘を抱っこすることもままならず…

行くよ〜お菓子食べるかな〜?と時間をかけて誘導してなんとか帰宅しました。

 

 

今から20年ほど前、私の小学生当時。プールの日に雨が降った時は水着で校庭に出てどろんこになって遊んだ思い出があるのですが…今もしてるのかな?

 

雷が鳴らなくて、そこまで雨が強くないという条件下でのみ実施されるボーナス授業だったので、毎年あったわけではないけれど、すごく楽しかった記憶。

着衣水泳のタイミングと重なった時にはもうパーティか?ってな盛り上がり。

校庭の滑り台を滑って水たまりに盛大にダイブしたり、泥団子合戦をしたりと楽しかったなぁ。

 

 

そんな思い出もあるので、娘にも思う存分、興味のむくまま、水たまりでも泥たまりでも遊んでほしい気持ちは、気持ちはね!気持ちはあるんですけどね!(必死)

まぁ私の子ですし、そのうち止めたって泥に突っ込んでいく日が来るのだろうと思うので、その日まではなるべく娘の自由にさせつつ、安全確保(私の心の安全も…)だけはしっかりしようと思います。

 

 

 

さて、私の心は今日もパンク寸前。

あと1回ポンプ押したら割れるのでは!?な状態の風船くらいぱんぱんです。

 

理由は2つ。おそらくPMSと夫です。

 

PMSの方はもうこれは体質でしょうかね。

まだ産後2ヶ月弱ですが、息子が口唇口蓋裂のため、哺乳瓶を使っての授乳が必須。

なるべく母乳をあげたくて搾乳を頑張っていたものの、1歳の娘のお世話をしながらだとなかなか3時間に1回の授乳の時間に合わせての搾乳は難しい。

しかも、息子は直接母乳を吸うことはできないためか、母乳の量は増えないどころか減る一方。

最初こそ母乳とミルク半々くらいだったのが、本当に飲ませる価値あるか?ってくらいの少量に。

 

そんな感じで母乳をほとんど出さないためか、もう生理が始まってしまいました。

 

いきなりものすごく気分が落ち込む日が来て、子どもたちが寝た後、夫のことで涙が止まらなくなってしまい、そんな私の様子を見に来た夫に感情的な対応。そんな自分にまた自己嫌悪が募り…と負のループ。

 

なんかこれ知ってるぞ、もしやPMSか?まさかこれが噂の産後うつか?と思っていたら、なんのこっちゃない生理でした。

 

昨日と、なんなら5分前とすら考えてることが変わって、悪い方にしか物事が捉えられなくなるのが私のPMSの症状。

それが分かっているのに、それでも振り回されてしまって、毎回毎回憂鬱です。

生理だから仕方ない、なんていうつもりも、生理だから何してもいいなんて思いません。

ただ、知っておいてくれ、生理前はこうなるんだ!って気持ちなのですが…ストレッサーがそばにいるので余計に今回は酷かったような。

 

 

結婚後の浮気前科1犯、第二子出産3ヶ月前にマッチングアプリ使用の夫氏への気持ちは整理の終わった今日とて、うまくコントロールできません。

 

浮気された時には理性の部分では、結婚式から半年も経たずに浮気した男となんて別れた方がいいと分かっていました。

しかも、よく言えば大人っぽい、素直に言えば老け顔の私なのですが、夫の浮気相手は10歳近く年下の女の子。

メッセージのやり取りの中でも彼女の童顔っぷりを褒め称え、制服着てしたい〜などの文言もあり、「なぜ私と結婚した…?」となけなしの自尊心が打ち砕かれる始末。

 

でも、感情の部分でまだ信じたいと思ってなんとかかんとか再構築してきたのですが、やはり浮気するやつはする。

倫理観に関係する部分ってやっぱり0か1かなんでしょうね。する人はするし、しない人はしない。

 

その、する側だった夫が今回やりとりしていた相手も童顔タイプ。やりとりの中でも未成年に見える!と彼女の童顔っぷりをまたもや褒め称えていました。

2度の出産を経て、爪も髪もぼろぼろ、体型も鏡を見たくないほど変わり、妊娠線もがっつりな私が前回の浮気後に必死でかき集めた自尊心はまたもや木っ端微塵。

 

相手が年上のお姉様ならいいのかと言われれば、そういう話では決してないのですが、あまりにもやりとりをした相手と私が違いすぎて、乾いた笑いが出てくるほどガックリきてしまいました。

 

 

感情の面で言えば、これまでの楽しかった思い出は忘れたわけではないので恋愛のカケラみたいなものはあるような気はします。

でも、今はそれを覆い隠すほどの苛立ちと悲しみがあって、向こうが承諾したら勢いで離婚に突き進めそうなくらい。

 

そして、理性の面で考えてみても、前回があるにもかかわらず、本人曰く会う気はなかったとはいうものの、マッチングアプリを利用できるというところから、反省しない人とは別れた方がいいだろうと思います。

でも、確実に子育ての頭数はほしいし、私の理想とする家族像には父親は必須。

 

もう頭の中はぐちゃぐちゃです。

 

 

 

理想としていた朗らかで明るくて頼れる母親像に、今のこのもやもやした私のままではなれないであろうことだけは分かっていて、そうなれない自分にも腹が立つし、そんな私にした夫にはますます腹が立つ。

 

 

そんな今日は奇しくも父の日。

 

なぜ私は、私たち夫婦はこうなってしまったんだろうなぁ。

吐き出して少しだけ余裕のできた脳内でそれを考えながら寝ようと思います。

 

広末…あかん…

 

 

 

息子2ヶ月!毎日のこと。

 

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日々を慌ただしく過ごしていたら、いつのまにか息子が2ヶ月を迎えました。

 

日々が慌ただしすぎるので、たまには振り返っておかないと、後から記憶の空白期間ができそう…

ということで最近のことを備忘録として付けておこうと思います。

 

 

 

 

息子(2ヶ月)について

体重も5キロを超えて、生まれたての頃のホニャホニャ感はどこへやら。

しっかり赤ちゃん!といった感じ。

我が家が口唇口蓋裂の治療のためにかかっている大学病院では、口唇裂の手術が3ヶ月以上・体重6キロからというラインがあるため、意識して体重増加に努めていたせいか、しっかりどっしり赤ちゃんです。

 

 

現在、生後2ヶ月で5キロ弱。

大学病院のお医者さんからは3ヶ月になるころには6キロ代に乗ってくるでしょう、と言われ、手術の日程も決まりました。

 

しかしながら、4月生まれの我が息子が3ヶ月になる頃というと、ちょうど世間の夏休みシーズン。

口唇口蓋裂の治療への公的支援が出るのが18歳までというのもあって、高校生の代の子たちの鼻の修正手術がこの時期に多いそう。

しかも、当然のことながら学校や部活などの予定を組むために手術の予約を1年以上前から取っているため、我が家が手術の日程を組みたくてもすでに手術予定でカレンダーは真っ黒。

7月15日で3ヶ月を迎えても、手術の予定を入れられるのは9月以降に…。

 

ちょっとがっくりしたものの、高校3年間のうち、受験や部活のことを考えれば、手術や入院、手術後の傷の回復のために時間がかかるため高校1年生のときくらいしか手術は難しいだろうし、仕方ないとしかいえないなぁという心境。

 

それに、お医者さん曰く、口唇裂の手術が遅くなるのは悪いことではないそうな。

生後1年で著しく変化する顔面の発達のことを考えると、少しでも発達が進んでからの方が成長に伴う顔の変化による術跡のひきつれや不具合が少ないらしく、術後のことを考えれば悪いことでもないとのこと。

 

ただ、発語のことや離乳食のことを考えると、早い方が発達に遅れが生じにくいんだとか。

 

そこのせめぎ合いで、3ヶ月以上・6キロのラインがおおよその目安らしい。

 

あとは、赤ちゃんの肺の発達も関係しているんだとか。

肺胞がしっかり膨らむ状態まで育っていれば全身麻酔をかけても呼吸に問題はないけれど、初めて膨らます風船に空気を入れるには力が必要なように、肺の発達が未熟な場合は全身麻酔をかけた時に肺胞がうまく膨らまずに酸素が上手にとりこめないそうな。

少しでも早く手術を!と急いでも、手術の途中で中止しなければいけないことも毎年1件、2件はあるそうで、息子は9月なら生後5ヶ月になっているのでおそらく大丈夫でしょうと。

 

体重しっかり増やすぞ!!と気合いを入れて授乳に取り組んでいたので、ちょっと肩透かしをくらった感はあるものの、安全牌をとれるならしかたない。

 

あとは手術までにどれだけ鼻の高さを出せるか。

現在、NAMと呼ばれる器具で裂がある方の鼻の穴の中心部を内側から持ち上げて、鼻の形をなるべく左右均一にすべく日々頑張っているところ。

お医者さんからは、順調!と言っていただいているので、9月までしっかり続けていきたいところです。

 

 

息子のお世話を日々していると、娘の時はどうだったっけ?と記憶を遡ってみるのですが、たった1年半前のことなのにすでに記憶は朧げ…

お風呂の時に、頭を腕で支えると浴槽でぷかぷか浮いて気持ちよさそうにしている息子を見て、娘もそうだったよな〜とは思い出せても、その顔やその時の愛おしさはなかなか思い出すのに時間がかかったりなんかして…

写真や動画を見れば、そうだったなぁ!と思い出せるので、これからもしっかり残しておかないとなぁと記録に励む毎日です。

 

 

娘(1歳7ヶ月)について

 

できることがどんどん増える娘。

最近は少しずつ言葉も出てきて、大人が言ったことを反復しようとするように。

 

「娘ちゃん、これあっちっちーだよ!」

「っちー!」

 

「うんちでてよかったね〜」

「っちー!」

 

「これおいしい?」

「っちー!」

 

と、基本は「っちー!」ですが、なんとなく意味は伝わっている様子なのでよし。

ママ、ばば(多分パパ)、ねんね、ゴーゴー(外に行きたい)、っちー(熱い、うんち、おいしい)、うん、ううん、くらいが今の娘の持つ語彙です。

 

2日に1回ほどは地域の保育園が母体でやっている支援センターで何かと遊ばせてもらっているのが刺激になっているようで、同年代のお友達とおもちゃの取り合いっこをしてみたり、真似をしてみたりと楽しそう。

保育士さんたちが考えてくれるゲームや制作物、ワークショップも楽しくて、私の息抜きにもなっています。

恐竜の絵が描かれたダンボールにボールをぶつけてみたり、座っている子供達の上にシャカシャカテープの雨が降ってきたり、子供達大喜びの工夫がたくさんの活動内容で、勉強になります。

 

車で20分かかるし、娘息子のおでかけの準備はなかなか慌ただしくて大変だけど、頑張っていく価値のある支援センターです。

 

 

息子をあやしている時などに私の膝の上からどかそうと押してみたり、娘を抱っこしている時に息子が泣いても離してくれなかったりと、ママは私の!という可愛くも大変な執着を日々出されるので、支援センターがなかったら…と思うと恐怖。

 

でも、娘の中で何かルールはあるのか、息子へミルクを飲ませている時には抱っこして欲しくても息子を押しはしないし、息子が吐き戻している時にもすっと膝をあけてくれます。

 

子どもなりに頑張ってくれていることにほっこりする気持ちと、我慢させてごめんねという気持ちで、娘を抱きしめています。

本当に本当に日々可愛くて、将来モンスターペアレントになってしまわないかが心配なレベル。

 

 

 

夫のこと

 

今年1月にマッチングアプリでのやりとりが私にバレた夫氏。

息子もだいぶしっかりして生活が落ち着いてきたのもあって、夫婦間は現在、修羅場ってます。

 

娘が生後3ヶ月の時から、息子を妊娠してだいぶお腹が大きくなった今年1月までの10ヶ月ほど。

初めての育児で不安ななか、娘が夜寝てくれないけど夫は明日も仕事だから…と頑張って抱っこし続けた夜や、息子の妊娠時のつわりで気持ち悪くて寝付けない夜。お前はマッチングアプリしてたんかーい、という脱力感。

 

夫と女の子のやりとりの中で「お風呂で後ろから抱きしめるのが好き」とかなんとかあって、今なぜ私と夫が一緒にお風呂に入れないかって、娘のお世話があるからやろがい!!という……なんでしょうねぇ、とにかく腹が立つ。

 

入籍後約1年かつ結婚式から約半年で浮気した前科もあるし、男女の中における信頼は皆無。

これまで一緒に過ごした情はあるし、内心はどうあれ謝ってくる姿を見れば多少の躊躇はあるものの、夫と一緒に過ごすことへのストレスがすごいので離婚はしたい。

でも子育ての手はまだまだ必要だし、家庭の問題から親の助けは受けたくない。

離婚せずやっていくなら子供たちの前では仲の良いパパとママでいたい、けどそれがものすごくストレス。

 

なんでもするから許してくれとはいうものの、私発信で何かしてもらっても溜飲は下がらないし、何も言わなければ反省の念を何かしら具体的な行動には移さない夫。

前科がある状態での今回だったので、口先で謝られたところで、またやるんだろうなぁとしか思えず。

 

私は別に今から新たな恋愛を求めているわけでもないし、妊娠を計画した時に子どもたちへの責任が1番だと決意したし、子どもたちが大人になるまでは母でいることが何より優先。

その生活に波風を立てる夫の存在は本当にいらないのだけれど…

 

子供も小さいし、日々の行動が人間的に手本に全くならない親よりは、子どもの前で取り繕える夫の方がまだましなのかとも思うし、悩ましい。

 

 

 

 

そんなこんな日常です。

何年後かの私はどんな顔でこの記事を読み返すのか…それは少し楽しみだったりして。

 

よし、頑張る、ぞ。

 

 

息子1ヶ月。いつかの日のために

 

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光陰矢の如しとはよくいったもので。

息子が生後1ヶ月をむかえました。

現在1歳半の娘も、1歳までは毎月の誕生日と100日の時にぬいぐるみと比べての成長記録写真を残していたので、息子の分も頑張ってみようかなと思っていますが…クラッシャー娘ちゃんがいる中どこまでやれるのか…

やれるとこまで頑張ります。

 

 

 

さて、前回の更新からまた日が空いてしまっているわけですが。

0歳児のお世話は寝不足との戦いだということを久しぶりに痛感する日々を送っていたら、いつの間にか時間が過ぎていました。

 

娘がお腹にいる時、お子さんが2人いる同僚から「赤ちゃんのお世話をしてると、1日は24時間なんだなぁって実感する」と言われたのを思い出します。

 

3時間おきのミルク、そして適宜おむつ替えと寝かしつけ。

しかも娘の時は直接胸から吸ってくれていましたが、口唇口蓋裂の息子は直接は無理なので搾乳かミルク。哺乳瓶を洗って消毒するのも一苦労。

 

日中は体力おばけな1歳半娘の相手もあるので、なかなか休むこともままならず…年子育児は大変だろうと思ってはいたけれど、お出かけの時くらいしか想像していなかったので、想像以上の大変さにくらくらしています。

どうしてもしんどい時だけ、息子がよく寝てくれる午前中に、娘にドラえもんを見せている30分だけ、娘と息子のいる部屋で横になっています。

ドラえもんの熱狂的ファンの娘は途中のCMまで食い入るように見てくれるので、本当に助かってます。ありがとうドラえもん

 

息子が口唇口蓋裂だからといって娘の時と何かお世話が特別に変わるわけでもなく、ただただ眠いし、同時に愛おしいな〜と感じる日々です。

 

私も今後、年子育児について年下の同僚と語る機会もあるかと思うので、そのうち年子育児の感想もブログに書いて備忘録を取っておこうと思います。

 

 

あと、口唇口蓋裂児のお世話についても備忘録を残しておきたい。

というのも、息子が生まれてからの1ヶ月で2回、「うちの子も口唇口蓋裂で生まれたんです」と話しかけてくれるお母さんに出会いました。

 

1人は大学病院の待合だったのでそりゃいるだろうなという感じでしたが、もう1人はイオンのフードコート。

偶然お隣の席に座った方からいきなり話しかけられて驚きました。「うちもでした〜」「がんばってください〜」と声をかけてくださった方々。

おそらく、他にもいるよ〜、綺麗に治るよ〜といったメッセージを伝えて励ますために話しかけてくれたのでしょう。

 

息子が口唇口蓋裂だと診断された妊娠30週の時から、お医者さんや看護師さん、助産師さん、同僚や近所の人…何人もの人に「綺麗に治るからね〜」「気づかないくらいになるよ」と声をかけてもらいました。

すごくありがたい声かけなのですが、何人もから言われるうちにだんだんと、(それは分かってるんだけどさ、治るにしたって手術や予後が無痛なわけでもないだろうし、痛かったり辛かったりする思いをさせることは事実なんだよなぁ)と思ってしまう自分がいて。

 

卑屈な考えなのは分かっているのですが、なんだかもやもや。

 

人に優しくされた時

自分の小ささを知りました

 

まさにこのモンゴル800の「あなたに」状態。(この歌は恋愛ソング的な感じが強いですが)

優しさで励ましてもらってるのに、なんだかこう素直に受け取れない自分にもやもや。

 

当事者や当事者の家族でもない限り、励ましの言葉は限られてくると思うのですが、なんだかこう、私が息子の外見にすごくこだわっているとでも言わんばかりに感じるというか…

 

息子の将来のためにそれは綺麗に治ってほしいけど、その過程の大変さや痛い思いをするであろうことこそに対して胸が痛いわけであって、息子の見た目に関しては私の中ではもう、さして大きな問題ではなくなっています。

 

だから、うちの子もですよ〜頑張ってくださいね〜頑張りましょう〜と声をかけてくれる当事者のお母さんたちの声かけには心が救われるような思いがしました。

うちだけじゃないし、大変な思いはするけれど綺麗に治療が済んでいくようがんばろうと少しだけ素直に思えるような気がしました。

私も今後どこかで口唇口蓋裂ちゃんを見かけた時に励ましのひとつになれるように、備忘録をつけていくのも続けたいものです。

 

 

明日はできれば海岸で砂遊びの予定。

明日も楽しくなーれ。

 

おやすみなさい。

 

 

 

夢で逢えたら

 

 

今日は夢の話です。寝る時に見る方の。

 

他人の夢の話ほどつまらない話はない、なんてどこかで聞いたことがありますが、ちょっともうあっぷあっぷするほど気持ちが溢れそうなのでアウトプットします。

 

夢に見ているものとはどんなものなのか。

記憶の整理(その日通りすがりやテレビで見たレベルの無意識下で記憶に残っている人の顔すら出てきたりするらしい)だとか、深層心理だとか言われたりしますが、もう今日の夢は深層心理どころでなくわっかりやすく私の心のモヤモヤを映し出すものでした。

 

 

ざっくり言えば、私が過去に好きだった人と会ってお泊まりをするという夢なのですが…

なんかもうねぇ、色々ともうねぇ。

 

 

まず、1月に発覚した夫のマッチングアプリ利用の件がずーーーっと頭の中にあって、夫とのこれからの関係に悩んでいるというのがあって。

 

娘と息子のためにはできれば父親がそばにいた方がいいだろうということ、特に口唇口蓋裂で生まれた息子のこれからの治療には人手があった方がよく、夫は育児に協力的で良いパパであることから、離婚までは考えてない。

てか、離婚を考えられるほど余裕がない。

実家の親を頼ったことによる子どもへの悪影響や私のストレスを考えると、こんな夫であろうとも、うーん、まだましかなぁ。

 

でも、私の中では許すとか許さないとかの話ではもうなくなっていて、夫がいかに私のことを好きだとか大切だとか言ってくれたとしても、私と夫の恋愛的な関係は終わったなと思わざるを得ない。

 

子どももいる、付き合いもなんだかんだ長い。

私たちの間に恋愛的な感情はなくなったとしても、家族として、人となりを十分以上に知っている同士として、それなりの情のようなものでは繋がってやっていける気はしています。

 

 

なんとか割り切って吹っ切ってみようとは思うものの、やっぱり裏切られた思いは消えなくて。

 

 

新生児のお世話で睡眠不足が続く今、夢に見るのは、夫を責めている場面ばかり。

眠いけど寝たら夢で憂鬱な気分になるだけなので、寝たくない。

 

そんな中で見たのが、好きだった人とお泊まりする夢…我ながら浅ましいと言うかなんというか。

 

 

しかも、夢の中なのに現実的なところが多々あって。

まず、私は今の産後の体だし、娘と息子もいる。夢の中くらい理想的な体でいたいのに、妊娠で太ったし、お腹には妊娠線の入ってるし、色々とそういうコトに及べる状態かわからないし…なんて一丁前に不安になってました。

しかも、そんな私はいわゆる男性から見た魅力的な女性ではないというところを埋めるためなのか、めちゃめちゃハイスペック設定。

英語ペラペラだし、商才に溢れていて、多くの男性から無自覚に好かれていて…いや〜理想がすぎる。

 

 

普段は意地悪ばっかり言う天邪鬼な彼(グスン)

なのに、なんで今日は優しいの〜〜!?

そんな風に優しくされたら、好きになっちゃうジャン!

 

少女漫画の煽り文風に言うとこんな感じのやりとりをして、私は内心(浮気されたんだから私だって…)という思いを持ちつつそれに流されて…というところで目が覚めました。

 

 

目が覚めて感じたのはものすごい自己嫌悪。

母親だというのに、夢の中とはいえ小さい子どもたちを親に預けて自分は男と…という状況を夢に見るそのメンタルが情けなくて情けなくて。

そして、夫への申し訳なさのようなものもふっとよぎりましたが、私ばかりが夫に操を立てることもないなと思って、そっちは気づかなかったことに。

 

そして、私は子どもたちへの申し訳なさや、妊娠•出産を経たことによって新たに生まれた自分の体へのコンプレックスから恋愛へのハードルがかなり高いのに、夫はそうでないということが実感として感じられて、なんだか笑えてきちゃう始末。

 

そうだよね〜ははってなもんです。

 

 

 

という、自分の底の浅さやどれだけ夫に失望したのかが夢でわかるという話でした。

どうしたもんかねぇ、これ。