そわそわ3月の備忘録
春うらら。3月です。
来月から育休復帰&転勤の私はそわそわした日々を過ごしています。
3月7日今日現在、まだどこに転勤になるのかわからず、来月の今頃はどこで仕事を始めているのやら…
県内転勤と言えど、いろいろと生活が変わるのは必至。
なんとか早く次の場所がわからないものが…今日明日中にはなんとか…と今日もちょこちょこ電話をチェックしました。
生活が変わる節目を前にしたことでそわそわする気持ち、そして、春というだけでどこかそわそわする気持ち。
そんな気持ちがよくない方向に作用しているのか、なんだかダウナーな心持ち。
言うことを聞かずに危ないことを繰り返す娘に声を荒げてしまったり、ダブルバインドな声かけ(もー!置いていくからね!(本当に置いていくわけはない))をしてしまったり…
その時々は仕方のないことと思うものの、余裕があれば違ったはずなのよねぇ。
自己嫌悪の日々。
夫との仲も小康状態。
先月半ばくらいに夫の実家へ帰省した帰り、子どもたちが爆睡する車内で、私の意思表明をしました。
一度許して、子どももできて、それなのにマッチングアプリをし、なおかつ2人目の妊娠中、もうすぐ産まれるという段階まで継続して使っていたことは正直、発覚から1年たってもなお腹立たしい。
国家資格試験への勉強の姿勢で本気度を見る、落ちていたら改めて離婚の話を前に進めると伝えていたのに、仕事家事育児があったとはいえ、取り組み度合いがいまいち。そして、試験後の自己採点が微妙だったのに、自分から離婚の話をしてこなかったあたりは、私が冗談やその場の勢いで離婚を口にしていると考えていたのではないか。むかつく。
しかし、子どもたちはまだ小さいし、今離婚したからと言って子どもたちがいなくなくなるわけでも、子どもたちにとっての父親という存在が霧散するわけではない。
1人で子どもを2人見ることで私が大変になるのはいいけど、子どもにとっては寂しい思いをさせてしまう。
経済的には心配はしてないが、とりあえず人手と時間。そして、父親という存在はないよりはあったほうがいいだろう。
家事育児を分担してできる人だし、子どもたちへの関わりも勉強になる、金遣いが荒いわけでもない、ただ一点、浮気をする気持ちを止められないだけ。
今すぐ離婚というのは現実的ではないから、とりあえず子どもたちがある程度大きくなるか、決定的に子どもたちへ害のあるやらかしをしない限りはすぐすぐ離婚はしない。
仲の悪いパパとママになりたくないから、普通に家族として今までのように接する。お互い欲はあるわけだから性生活もあるかもしれない。
でも、許す日は来ないし、調子に乗るな。
いつでも離婚するつもりで私はいる。
というようなことを伝えてみた。
ずっと怒っているのも疲れるし、ひどい態度を人に取り続けるのも疲れた。でも、許せないし、腹は立つ。
娘を産んだ時に、この子を守るために、なるべく幸せに育てるためにできることは全部やろうと思ったから、離婚までにできることはまだあると思った。
こどものために我慢してるわけじゃなくて私が子どものためにそうしたいからそうする。
ただ、今のところ近いうちに夫はまたするんだろうなと思っています。
理由はきっと、浮気した自分から私を誘いづらくて、欲を発散するために…とか言われる気がします。
は〜〜
本当にもうずーっと生理前のような心持ち。
幸せを見つけてかき集めて数えて磨いて抱きしめて、そわそわ3月を乗り切ろうと思います。
ライフプランというやつを考えた雨の日。
「くましゃんにはみがきすゆ」(くまさんに歯磨きする)と、検診でもらった歯ブラシをぬいぐるみ用にした娘2歳
さて、ハロプロが好きな私です。
道重さゆみ単推しかつ、モーニング娘。箱推しを基本として、°C-uteで泣き、Buono!で泣き、桃子で泣き、カンガルの亡霊となり、こぶしで泣き、ハロコンはとりあえず近隣県は行こう!から妊娠出産育児ですっかり在宅消極ヲタに。
気づけばハロヲタ歴が10年の大台に。
そんな最近の推しはほまたんです。MIXかわいい。
そんな私の今日の脳内ソングは、シャララ!やれるはずさ。
タイムリミットが来る前に
やれること全部 やってみよう
後悔なんて 絶対 残すなよ
そんな歌が脳内で流れていたせいか、雨続きのお天気のせいか、今日はまだ先の話なのに定年退職後の自分の生活について考えていました。
今の仕事を幸運にも65歳まである程度、何事もなく続けられたとして。
早期退職も今の所考えていない。
今の年金制度が完全崩壊には至っておらず、退職金もそこそこきちんともらえたとして。
再雇用制度があるから、2、3年は体が動いて、働ける環境があるなら働きたい。
その間に長期の休みを利用して旅行なんかも捨てがたい。
で、その後。
退職金で蕎麦屋を…なんて、趣味を仕事にって考えられるほど好きなことも今のところない。
年金と、貯金を切り崩してなんとか生活ができるだろうって楽観的には思っていられないし、働くなかで人と関わることは好き。
あと、生活の潤いが欲しいから、多少の余裕もやっぱり欲しい。オカネダイジコレマチガイナイ。
70を目前にどこかに勤めるというのも雇ってくれるところさえあればいい。
学生時代にバイトしてたマック
憧れのスタバ(ミーハー)
今の職から考えたら教育系?
オンライン塾とか、日本人学校とか。
農家というのも捨て難いけど、夫の実家とその頃にご縁があるのか不明。
そんなことを家事をしながら、子どもを寝かしつけながら考えていました。
育休も3月末までとなって、これから3人目を産むか、心身を持ち崩すことがない限りは30年間働くことになる。
育休を2年半とってみて、働く生活が待ち遠しく感じてもいるけれど、そうか…30年か…という先の見えない道に立っている気持ちでもあって。
将来、子どもたちが大人になった時のことを想像すると、もう1人くらい産めるものなら産みたい気持ちもあるけど、年齢が上がれば上がるほどリスクもあがるし、お金の面でもなぁ〜。
中古でもいいから手頃なサイズの家を買って、自分好みのものを詰め込んで、できれば小さい畑もやって、保護猫をもう2、3頭引き取って。
働いて、本当にたまーに旅行に行って美味しいものを食べて、家で再現なんか試みちゃって。
たまに子どもたちが帰ってきてくれたら、いっしょに地元のお菓子でも食べて、もし孫でもできた日にはできるなら孫の生誕樹を植えさせてもらっちゃったりなんかして。
そんなことを考えていた今日でした。
メンタリストDAIGOさんが「30代超えたら「いつか」は自分で迎えに行かないと来ない」というお話を動画でしていたのを見たせいもあるかもしれません。
いつか、家が欲しい。
いつか、畑がしたい。
いつか、旅行に行きたい。
定年退職後のことも、いつかの計画も30の今、もう少し現実的に数字を出して考えておかないとな〜と思った今日でした。
歳をとるのはそこまで怖くない。
40の私が、50の私が、はたまた60の私がこれを読み返す日が来たら、何を思うのか。
少しだけ怖いけど、同じくらい楽しみ。
多形紅斑、快方へ!お外に出たい!
おはこんばんちわ〜(懐かしい)
メイプルストーリーをやっていた世代です
この間節分を楽しみにしていたというのに、気づけばバレンタインも終わっている……
我が家はまだまだコロナ禍にあります。
自分のための備忘録として経過を書いておきます。
娘の多形紅斑(ウイルスによってでるじんましん(説明雑))が出たのが、それこそバレンタインの日の朝。
2日目までは見ているだけで痒くなるような大きな赤い発疹が全身に出ていました。
足の付け根は特にひどくて、中心部が濃い紫、そこから黄色くなって周りは赤。
顔から耳、首、背中にお腹におしり、足は指先まで。
手と足は指まで腫れ上がっていて、これは一体なんなんだ、本当に治るのか……と心配が募りました。
ステロイドの軟膏とじんましんに効くヒスタミン系の内服薬で、そこまで痒みは無い様子でしたが、肌が弱っているのか、ちょっとしたことで赤いところが増えていく。
ご飯の後は口の周りが赤くなり、ちょっとひっかけばみみずばれのような感じに。
熱も39度まで上がって、コロナこわい……と改めて感じました。
3日目の朝、起きてきた娘の顔はだいぶ赤の面積が減っていて、体もまだまだ赤い部分が多いものの、色合いも薄くなっていて、少しほっとしました。
熱も下がって、上がっても37度。
この日までは大事をとってお風呂には入らず体を拭くだけでしたが、元気そうな様子でひと安心。
4日目となる今日は、明らかに赤の面積が減少。
熱も36度台で、本人も元気いっぱい!
お昼寝の時間がずれこんでしまい、あまり眠れなかったにも関わらず、ぐずることもそこまでなくて、お菓子をストックしているは箱の前で「今日のお菓子なにかな〜?」と、あげるとも言っていないお菓子を選ぶのに悩んでいました(笑)
(高度な催促だったのかもしれない)
体が熱くなると痒みが増しそうな気がしたので、シャワーで済ませて、夜は内服だけで軟膏はなし。
それでもすやすや寝ているので、痒みもなさそうです。
最初がひどかっただけに、快方に向かっているのが目に見えてわかると安心します。
多形紅斑について調べても、あまりリアルな闘病期の日記?みたいなものがなくて、自分があまり聞いたこともない病名ということもあり、あまり出ない病気なのか?と少々不安がっていたりなんかして。
小児科のお医者さんがパッと見て診断してくれたし、説明も少なかったからあるある〜なのかとは思ったけれど…
うちの子もそうですが、症状を説明する写真を撮っても、全身に出てるからモザイクしたとしてもあまり載せたくないから、あまり日記とか出てこないのでしょうか?
かなり心配になる見た目だったので、もう少し多形紅斑について調べて、その後のケアとかを勉強するつもりです。
この多形紅斑が出ている間はコロナだと思っておくように、とお医者さんから言われているので、自宅療養がもう1日、2日続きそうですが……
いい加減、お外に出たい。
私がコロナになってから、続けて夫、息子、娘と時間差で症状が出ていったので、丸2週間、外出できておらず……ソロソロ、オソトノクウキガ、スイタイ……
もちろん、周りの方にうつすのはダメだし嫌なので当然のことなのですが、「〇〇(支援センター)行く!」と朝から自分のバッグを持って長靴を履いたり、支援センターのお友達の名前を言ってくる娘を見ると、胸が切なくて。
我が家は3月末で私の仕事復帰に伴って転勤も控えているので、今の支援センターにお世話になるのも3月まで。
できれば、最後にたくさん遊びに行って、娘と息子の成長を見守ってくれた先生たちや、お友達たち、ママさんたちと交流したかったのですが……
こればっかりは仕方ないよなぁ。
転勤がある仕事は色んな出会いや経験ができるし、引越しも大変だけど大掃除のチャンスだし、将来的にどこに家を持つかを考えるきっかけになるし、職場的にも風通しが良くなるし〜と私は割とポジティブに捉えているのですが、子供のことを考えるとやはり悩んでしまいます。
県内転勤なので、大切なお友達には会おうと思えば会えるのですが、やはり学校や地域の近い距離の仲間って大切ですし……
と、家から出れないので、今後のことを考えてみたりなんかして時間を過ごしています。
最近の考えていることは
①転勤先はどこになるのか、猫が飼える家はあるのか、広いのか、1階なのか、バストイレ別etc……
②我転勤族ダイニングテーブルを買うか買わぬか
③ドリームスイッチ(寝かしつけ用プロジェクター)を導入するかどうか
などなど。
まだ2月であってほしいような、早いとこ3月になって転勤先を教えて欲しいような、そわそわした気分です。
明日には娘の多形紅斑がもっとよくなっていますように。
では。
娘2歳の多形紅斑 ステイは続くよどこまでも
寒いのか、暑いのか、晴れなのか、雨なのか。
本当に今は2月なのか……?
そんな日々を送る地方民な私です。
私のコロナ自宅療養期間が明け、私の次の日に陽性になった夫の自宅療養期間が明け、ぜーぜーしていた息子9ヶ月も熱はとりあえず下がり、よーし!もうすぐ外出できるぞ!と思っていたのですが……
今朝起きてみると、娘2歳の顔が腫れ上がっている!
え、えー!?何かアレルギーー!?
と、大慌てな私。
そもそも、前夜、息子が深夜4時に覚醒し、ギブアップした夫に変わって息子の寝かしつけをしていたため、今朝はなかなか起きれなかった私。
(娘はママとじゃないと寝ないキッズなので、基本は娘はママ、息子はパパと寝ています)
あまり深夜におきだすタイプでは無い我が子達なのですが、鼻づまりと咳で2人とも夜間覚醒しやすいようで、私も夫も寝不足な毎日です。
今朝はそんなこんなで布団から抜け出せずにいたのですが、娘はどうやらリビングで遊んでいる様子……声だけが聞こえてくる……
なんとか起き出して、娘に朝の挨拶をば……と娘の顔を見ると……ぎゃー!
先に起きて仕事に行く準備をしていた夫は、娘と顔を合わせていたにも関わらず顔は見ていなかったようで(マジでなんで?)
夫が仕事に行き、ご飯を食べさせ、着替えをさせたところ、胸にお腹に鼠径部と、全身がひどいじんましん…………
顔も目の周りが特に酷く腫れて、かわいそうなくらいに……
なんとか準備を済ませて小児科へ行き、予約したものの感染症爆発シーズンのため、順番になってからもさらに40分待ち、やっと見てもらった結果、コロナウイルスによる多形紅斑だと診断されました
最初言われた時は漢字変換できず、タケイコウハン……?とはてなを飛ばしまくっていたのですが、先生の話&ネットで調べたところ、ウイルスや薬剤によって起こるじんましんの一種という認識で良いらしく、発疹の中心部が灰色か濃い紫になるのが特徴だとか……
確かになってる……痛かゆそう……
娘の場合は、コロナウイルスによる多形紅斑が出てしまい、全身に、しかも酷く出たようで……
何もせずとも1週間ほどで治るそうなのですが、コロナの対処療法として咳止め・たん、鼻水の排出を助ける薬、そして、じんましんの薬を出してもらいました。
かゆみ止めの軟膏も3本もらったのですが、たりるかな?という勢いで全身がぶくぶく。
これまで熱が高くても走りまわりよく食べていた娘が、食欲もなくぐったり気味。
多形紅斑、ひどい時は命に関わるというネット記事も見て、心配でもうなんかハゲそう。
身内に小さい子どものいなかった私は子どもができるまで知らなかった病気がありすぎて、手足口病??突発性発疹??RSウイルス??などなど、いつも何それ?となるのですが、今回の多形紅斑は症状が目に見えてひどくて、本当にあわてました。
やっとこさ小児科から帰宅すると、熱も高く、食欲もない。
かゆみ止めの軟膏を塗るものの、そりゃこんだけどこもかしこも腫れて熱もってたらいくら塗ってもかゆいよねってな感じ。
今晩も私は眠れそうにありませんが、とにかく娘が少しでも睡眠をとって、かゆみや熱が引くことを祈って娘を寝かしつけたいと思います。
コロナなう
(コアラパンを手に平成のピースをする娘2歳。最近の写真はほぼこれ)
コロナなう(死語?)
コロナ禍と呼ばれた3年くらいの間はかからなかったのに今かかるというなんだかなぁな日々を過ごしています。
当時も今も勿論かからないのが1番なのですが。
なんだか微熱が続くな〜喉も痛いかも…子どもたちがお鼻ずびずびだからうつったかな?と軽〜い気持ちで耳鼻科を受診。
私はいつもの鼻炎を抑える薬をもらい、子ども達の鼻を吸ってもらい、息子が若干中耳炎になりかけかもと教えてもらい(口唇口蓋裂があると鼻の奥?の筋肉が組織として断絶しているそうで、やはり中耳炎なりやすいらしい※詳細を調べ中)と帰宅してる最中に、おやおや?頭が痛いぞ…?
帰宅して、夫の帰る夕方までなんとか持ちこたえて、夫に子どもたちをバトンタッチしてからみるみる熱が上がり、夜には38度!
これはきっとインフルだ!!!と思い、翌日もう一度耳鼻科に行って検査してもらって、まさかのコロナ。
私はてっきりコロナが大きく取り沙汰されてからもう3年くらいたつし、何かしら対処療法薬があるものだと思っていたんですよ。お医者さんがとりあえずこれで!みたいに出してくれるものがあるものだと。
でも、前日に貰った鼻炎の薬と、鼻水やたんを排出する薬と、あとは解熱鎮痛剤しか処方されず、こんなに自己治癒力にお任せ☆って感じなのかと驚きました。
重症化しやすい高齢の方に使うコロナ治療薬が欲しかった訳ではなくて、なんかこう、漢方とかそういう自己治癒力に任せるにしても、これがいいよ!みたいなものがあるのだとばかり…
今は自己責任のもと、貰った薬に葛根湯を合わせて飲んで小康状態です……
ネットで調べてみたらひとくちにコロナと言っても症状も様々だし、後遺症も様々。
私は今のところ発熱と頭痛と喉の痛み、関節痛(腰が痛いし、抜けそうになる)があって、なかなかベビーな感じ。
本当なら隔離されておくべきなんでしょうが、娘2歳は「ママー!」と寝室に突進してくるし、息子9ヶ月は最近ベッドに登れるようになって寝室が楽しいと気づいたのか、ベッドガードをつけて寝ていると、気づいたら床でベッドを見上げて、ソコに…やつが…いる…という状態。
なんとかマスクをつけて、食事の時間を分けて、子供のお世話もどうしようもない時はしています。
1日寝てられる訳でもない小さい子の子育て中に自己治癒力だけでこの症状を治せるのか…
とりあえず、納豆と果物とヨーグルトとヤクルト、それにきのこ類というなんとなく免疫あげそう系食材をいつもより二割増で摂取して頑張ります。
赤べこだ!…そういえば口唇裂手術の話
先日、口唇口蓋裂のお子さんを出産したママさんのブログを拝見しました。
分かる分かる〜あ〜分かるぅ〜〜とあの、なんだっけマツコ・デラックスさんが集めてるあの牛の…おきあがりこぼしじゃなくって、あれ…あれみたいになってました(諦め)
さて、私のマイスウィートサン9ヶ月も口唇口蓋裂でこの世に生を受けました。
誰もそんなふうに産みたかったわけじゃない、でもそう産まれてきたのは仕方ない。
できることを全部やることは健常児として生まれてきても口唇口蓋裂で生まれてきても変わらない!
そうやって不安な気持ちを抑えて臨んだ口唇裂手術の話を備忘録として書いておこうと思ったのに、手術前夜のことまで書いてそのままになっていました。
まだ記憶の新しいうちに書いておこうと思います。
口唇裂の手術とひとくちに言ってもいくつかのやり方(縫い方?)があるそうで、息子の場合はまっすぐ縫うのではなくて、少しずらして縫う方法で手術をしていただきました。(曖昧すぎる)
手術の前の日は比較的落ち着いて過ごしてくれた息子。絶飲食の時間も寝て過ごしてくれたおかげでそこまで苦労することはありませんでした。
朝、術衣を持って看護師さんがベッドへ。
絶飲食の時間や流れを確認して、小さな息子にぶかぶかの術衣を着せます。
あんまりぶかぶかすぎて、着ているというより包んでいる有様。
こんなに小さい息子が、今から1人で手術を…とぐぐぐっと切なくなりましたが、私がいくら息子を愛していても私が治してあげられるわけじゃない。産まれたその日から見てくれてる先生を信じる、と決意を新たに術衣姿の息子を抱っこしたのを覚えています。
(術衣ぶかぶか。そんなところも愛おしい)
そして時間になり、息子を抱っこして手術が行われるフロアへ。
息子のかかっている病院は古い建物を順次新しくしているところで、入院病棟から手術するフロアまでゆっくり歩いて6~7分はかかる距離。
同室のお母さん方にエールをいただき、息子を抱いて看護師さんの案内の元、おしゃべりしながらゆっくり手術室へ向かいました。
なんだか体の芯が冷えてるような怖いような感じがして、顔も強ばっていたように思います。
手術室がいくつも並ぶフロアの前で手術担当の先生と合流しました。
手術室で待っていても良かっただろうに私と息子が不安だろうから、と迎えに来てくださったそうで、本当にほっと一息でした。
手術室に入るための帽子を息子にかぶせて、なぜか写真を1枚 笑
大あくびの息子。うさぎちゃんのお口の写真はこれが最後になりました。
いつもの空気でやりとりをして、少しだけ肩の力が抜けたところで、いざ、手術室へ。
他にも今から手術を受けられる患者さんがたくさんいて、緊張感で私は首筋がちりちりしていたんですが、息子はご機嫌に先生に笑いかけてました。
君、これから全身麻酔よ…??
手術室にはとんと縁のなかった私。
ドラマで見ていたような広めの部屋に手術台がぽつんとあって、その周りに器具や装置があって、ちょっと上の窓から別の先生が見下ろしていて…(青い照明たきがち)
なんてことはなく、通るのにちょっと苦労するような装置と器具置きの隙間を通って手術台へ。
息子を手術台へ寝かせると、最初はぽかんとしつつも、看護師さんや先生が笑いかけてくれるからにっこにこの息子。
全身麻酔が効くまでは手を握っていていいとのことで、私も息子の手を握ってにこにこと話しかけます。
先生と看護師さんが器具や装置を確認して、息子の口に麻酔のマスクが被せられます。
息子も顔になんかつけられた!!と大泣き。息子をなだめ、お腹をとんとんと叩いていると、ものの1、2分で息子は夢の中へ。
お母さんは退出して大丈夫ですよ〜と看護師さんに言われ、息子の手を離したのですが、なんだか、もう本当にこの時は泣きそうでした。
寂しくないだろうか、痛くないんだろうか、大丈夫なのか、お医者さんたちを信用していないわけではないし私に何か出来る訳でもないのに離れがたくて。
「がんばって」と寝ている息子に声をかけて手術室を出ました。
手術は3時間ほど。
前日お昼に入院して、翌日10時過ぎに始まった手術なので、私もまだ入院生活に慣れておらず、ずっとソワソワしていました。
息子が戻ってきたらぐずったり痛がったりの対応が大変になる可能性があるから、その間にお昼を済ませておいた方がいいと伝えられたのですが、何も食べられませんでした。
何もしないでいる時間を作ると息子のことが心配になってしまうので、持ち込んでいたSwitchで桃鉄をして時間をつぶしました。
伝えられていた時間より30分ほど経ったころ、看護師さんからお迎えに行って欲しいと言われました。
どんな状態なのか、痛くないかとはらはらしながら手術室へ向かい息子と対面しました。
口元には大きなテープが横に貼られ、鼻の辺りには少し血がこびりついています。
息子は口蓋、歯茎、そして唇から鼻の中まで裂けている片側完全口唇口蓋裂なので、今回の手術では唇を縫い合わせると同時に鼻の底を作って貰いました。
手術をした方の鼻の中には鼻の形が崩れないようにチューブが入っており、これが抜けないように気をつけて欲しいとの注意がありました。
手術した鼻が気になって触ってしまう子も多いそうで、肘に動きを抑制するカバーをつける事になりました。
息子の場合は鼻もですが、それよりも点滴を取ろうとすることが多くて、そちらも大変でした…
(以下写真がありますが、鼻にはモザイクをかけています)
「さっき起きたところですよ〜」
と先生に促されて移動ベッドに寝る息子に顔を見せると、それまで泣いていたのに私の顔を見て少し泣き止んだのにはびっくり。
「がんばったね」と息子の手を握ると、またか弱く泣き始めたけれど、とんとんしていたらだんだん泣き止んで、動かしにくいだろう口元で微笑んでくれました。
部屋に戻るまでの間にギャン泣きに移行したので、私が抱っこして運ぶことになりましたが、息子の重みとあたたかさに何はともあれ終わってよかった…と安心しました。
部屋に戻ってからも絶飲食(というか痛くてミルクは飲めないだろうとのこと)は続いたので、寝かしつけ。
疲れも当然あったのでしょう、すぐ眠ってくれました。
全身麻酔でとる睡眠とは別物なんでしょうね、不思議。
そのままその日は夕方まで寝て、ミルクも量は少ないものの、その日のうちに飲んでくれました。
口の中には触っていないとはいえ、唇を縫い合わせる手術のあと。痛いだろうに、頑張ってミルクを飲む息子の姿に少し泣けました。
実際、入院中に同じ手術を受けた子とそのお母さんとお話をする機会がありましたが、ミルクの飲みが悪いし、鼻のチューブを触ってしまって出血もあったとか…
夜もそこまで寝ぐずりはなく、術衣で寝たのでもぞもぞしたくらいのもの。本当にこれで終わった…と安心でした。
次の日からは毎朝、処置室に通って薬を分厚く塗って、テープをはりかえるの繰り返し。
(ご機嫌な息子)
鼻のチューブも3日ほどで取ってOKになり、手術から1週間後に抜糸をし、退院となりました。
全部で10日間の入院で同室のお母さんたちと仲良くなれて、お互いの子どもの病状を話したりお菓子やお茶をおすそわけしあったりして過ごせたことで、良い息抜きになりました。
お風呂は20分、洗濯はコインランドリーで、寝るのは息子のベッドの横に着けたシングルの3分の2くらいしかない補助ベッド。
大部屋だったこともありますが、寝ぐずりする息子が迷惑をかけてしまうことも…
でも、お互い様と言ってくれる素敵なお母様たちで励まされました。
小児病棟に入院していたので、先天的な代謝異常で生まれてすぐ入院して半年以上ずっと母子入院をしている方や、小児がんで入退院を繰り返している方もいて、色んなお話をしました。
職業柄、病気の子ども達と接することもあるにはありますが、知っていたよりも大変な世界が広がっていて、その中で毎日楽しみを見つけて笑っている子どもたちが眩しく感じました。
親としても当事者としても大病を経験していない私が何か言うのも思うのも筋違いだとは思いますが、年単位で母子入院をしている方々のご苦労と愛情には本当に尊敬の念をおぼえました。
退院の日、同室のお母さんたちや食堂で一緒になった方たちに見送っていただいて、病室を出ました。
退院後は、
・傷跡がケロイドにならないためのお薬を1日3回、飲み続けること
・傷跡の治りを良くするためのテープと、そのテープを紫外線から守るテープを傷跡に貼ること
・鼻の形が崩れないようにするためにレティナと呼ばれるシリコンの器具をテープで鼻につけること
が必須でした
このレティナが本当に小さいしなくなりやすくて大変でした
幸いにも息子は取ろうとまではしなかったのですが、よだれ過多ため自然と取れてきて、そのまま過ごすこともしばしば…
レティナもテープも薬も術後3ヶ月程度のもので、術後5ヶ月ほど経つ今はもう全てなしで生活しています
気をつけることといえばなるべく傷跡が日に焼けないようにすることくらい。
市販の日焼け止めを塗っています。
今の息子はやんちゃすぎて忘れてしまいがちですが、頑張っていたなぁと改めて思い出します。
さて、そんな私は初めてのコロナにかかり、家庭内隔離されたいところなのですが、狭い2DKかつママべったり2歳とハイハイ無双の0歳がそんなことを許してくれるはずもなく。
夫協力のもと何とか逃げ回ってゆる隔離されてます。
早く治して引越し準備するぞ…!
タイムリミットなのかカウントダウンなのか
2024年。初投稿。
あれ?このブログを始めたのが2022年???
2年という月日の早いこと…
怖さ通り越して笑えてきちゃいますねahaha(ˊᗜˋ)
のちのち振り返る自分に向けて近況をまとめると
①娘 2歳3ヶ月 どちゃくそかわいい
(傘と長靴が今のブーム)
もっと小さい時はアンパンマンより圧倒的にドラえもん派で、アンパンマンのキャラは全く覚えてもいないし、アニメも興味なしだった娘。
今日は寝る前にアンパンマンの絵本でドキンちゃん、チーズ、ジャムおじさん、バタコさん、カビるんるんを習得!
アンパンマンをアッパー!と呼んでいた頃が懐かしい…ついこの前なのに…
よく喋るようになって、可愛さマシマシ。
②息子 9ヶ月 どちゃくそかわいい
(ベビーせんべいはもう割らない笑)
同じ両親、同じお腹から産まれたのに、娘とは全く違う成長をしている息子氏
よく食べ、よく飲み、あんまり寝ない、よく動くしなんでも口に入れる。
よだれは一体何リットル出ているのやら…
性別の違いもあるのかもしれないけれど、赤ちゃんらしい赤ちゃんっぷりを見せる息子は毎日すくすく成長中です。
口唇裂手術の痕もだいぶ落ち着き、知っていれば分かるけど、パッと見は目立たない程度にまで回復。
また今年夏頃に口蓋裂の手術があるものの、びっくりするほどよく食べるし、歯も生えてきたので安心。
③夫とはしれっと生活
福祉系の国家試験の受験を毎年受けている夫氏。
私も予備校に通って試験に合格して今の仕事をしている経験があるので、勉強に集中する時期に波風を立てるのはなんとなく忌避感があり、ここ1ヶ月ほどは思うところがあってもスルー。
こうやって、夫への恋愛的な興味関心を失っていくのかしらね〜とどこか冷静な自分がいます。
前がどっちかは分かりませんが、とりあえず前進かもしれません。
そして、そろそろ受かれ。もしくは諦めろ。と心の中では思っている♡
④4月の職場復帰に向けて心の準備中
育休も残り2ヶ月を切り、子どものいる状態で仕事をしているイメージがまだ持てずにいますが、時間だけは過ぎていきます。
仕事の関係上、3月~4月にかけて、夫の退職、引っ越し、職場復帰、保育園探し、保育園入園、夫の職探しとイベントが盛りだくさんです。
本当にそんなことが可能なのか??とすら思うスケジュールですが、先人はこなしてきたのだ……できるのだろう…
とりあえず動けるのは、粗大ゴミの処分と荷詰め、そして仕事用の服の調達くらいでしょうかね。
3年前のズボンやブラウス、ベストはちょっとくたびれ〜な感じで、かつ、2度の妊娠出産で体型にも変化がガガガガ
元からスリムではないですが、ね、着痩せとかね、一応ね、ね
2年半の産休育休を取って、私には専業主婦は向いていないことがハッキリ分かりました。
お仕事大好き人間ではないけれど、家にずっといて家事育児と向き合うのがメインという生活は息苦しさがありました。
もちろん、子どもと過ごすかけがえのない時間は何度でもやり直したいくらい楽しかったのですが、これはもう性格の問題なんですかね。
やりがいうんぬんよりもお給金のために仕事をしている!という感覚が強いので、お金の心配も大きく、通帳とにらめっこする2年半でした。
早く3月が来てほしいような、まだまだこのままでいたいような…不思議な気分ですが、2月は逃げる、3月は去るというくらいですし、きっとあっという間なんでしょうね。
なんとはなしに今日ブログを開いたのは、なんだかこう鬱屈とした気持ちになってしまったから。
毎日がただただ過ぎていって、楽しいのに、絶対かけがえのない時間なのに、何も残っていないような気がして。
戦争怖いし、政治は理解の範疇を超えた事態が起こってて意味分かんないし、著名人や芸能人もやばいし怖いし死んじゃうし、友達が旅行行ってるのは羨ましいし、親は老いたし、金は欲しい。
色で言えば黒とか紺とか紫とか茶色とか?そういうドロっとした気持ちが大鍋いっぱい煮詰まってる心持ち。
私の日常においてはよくあることではあるのですが、ちょっとこのドロっとした重いヤツを吹っ飛ばすべく書いた所存です。
あーしたてんきになーーーれ!